東九条マダンのあゆみ

第4回東九条マダン

1996年11月3日(日)会場 京都市立東和小学校。

第4回から、やっと京都市と京都市教育委員会が後援団体になってくれました。今回も準備段階で、「チョゴリを縫う」企画を入れましたが、残念なことに、指導して下さっていたオモニが倒れられました。私たちはオモニの生き様と、2世~4世を見守ってこられた温かい眼差しと意志を忘れず引き継いでいこうと思います。

今回から初めて、プレイヴェントを設け、10月12日夕方京都駅南の広場で、これまで暖めてきた「サムルと和太鼓のセッション」を行いました。このときは初めての試みで、練習も不十分でしたが、何かを予感させる新たな感動が広がりました。

当日のプログラムでは、何と言っても前述の「サムル&和太鼓」が圧巻でした。3拍子型のサムルと2拍子型の和太鼓が一つの曲を演奏することは、簡単そうで意外と難しいものです。何よりも異文化同士のぶつかりあいの中に緊張感があり、その緊張を孕んだまま演奏がクライマックスを迎えたとき、大きな興奮と感動を与えてくれました。演奏の後、期せずして会場全体から割れんばかりの拍手とアンコールの叫び声がわき起こりました。

この「サムル&和太鼓」こそ、東九条マダンが呼びかけ文の冒頭に掲げてきた「韓国・朝鮮人、日本人が、ともに主体的に祭りに参加し、そのことを通じて、それぞれの自己解放と真の交流の場ををつくっていきたい」を音で表現したものであり、東九条マダンの誇りうる成果であります。

その他のプログラムでは、友情出演として崇仁お囃子会の他に、新たに千本地域から小・中学生によるバンド「ベンチャーズ・キッズ」の参加があり、またインドネシア留学生協会の民族芸能の演奏などがありました。

第4回を終えて、東九条の公立4校を一巡しました。

第5回東九条マダン

1997年11月2日(日)会場 京都市立陶化中学校。

第5回から実行委員長に朴実が、事務局長に渡辺毅が選ばれました。

当日のプログラムでは、新しい試みとして「電動車いすサッカー」や、障害者と健常者がペアを組んでやる「卓球バレー」をとりいれてみました。東九条マダンの大きな柱である韓国・朝鮮人と日本人との交流と、障害者との交流・共生は、ともすればスローガン倒れになってしまい、特に後者は形骸化しつつある中でのとりくみでした。しかし、障害者との交流・共生は、まだまだ不十分であり、今後ともとりくみを続けなければならないと思います。その他のプログラムでは、地域のアジュモニ(おばさん)たちが民謡の舞踊で初めて参加して下さいました。また、京都琉ゆう会のエイサー等が行われました。

特筆すべきことは、在日同胞聴覚障害者協会の方々が、実行委員会の段階から参加され、当日は出店を出されました。幸い、実行委員会ではボランティアの手話通訳が確保できましたが、我々の中から手話通訳を確保していかなければならないと、痛感させられました。

第6回東九条マダン

1998年11月3日(休日)会場 京都市立陶化小学校。

今回初めての出し物としては、「東九条ウルトラクイズ」「もやし髭取り競争」「柿渋染め実演コーナー」、パネル展示として「見てみよう、隣の町の歴史~崇仁学区~」等でした。

今回、京都地裁で敗訴の判決が出たばかりのウトロも、久方ぶりの友情出演をしていただき、連帯のメッセージがありました。マダンも第六回ともなると、新しい試みもだんだん少なくなってきています。しかし、定番となっているものの中に、東九条マダンならではの特筆すべきものが多くあります。

その中に、毎回とりくんでいる創作マダン劇があります。また子ども、大人女性、大人男性にわかれて行う「シルム(朝鮮相撲)大会」や、ノルティギ遊び等の「民俗遊び」も楽しいものです。

「サムル&和太鼓」のセッションは、さらに磨きがかかり、「車いす体験コーナー」「民俗楽器体験コーナー」も定番となりました。また、毎回テーマを設けて紹介される「パネル展示」も特徴があります。

何よりも、裏方として活躍している「美術班」を紹介したいと思います。毎回会場を飾っているさまざまな絵や、ホランイ(とら)サジャ(獅子)のつくり物、垂れ幕、旗の類等々。実行委員会では、美術班が最初の時期にとりくみ、子ども達にも呼びかけて毎回新しいものをつくっています。ただ、残念なことに保管場所が不十分なために、今までのものがすべて保管できていないことです。

このような飾り付けの中に、いつも入り口近くに大きな垂れ幕で、ハングルと日本語で「やっと出会えて良かったね!」と言うものがあります。これは第1回が始まったとき、子ども達が書いたものです。マダンが始まると、私は心の底からこみあげるように、この言葉が実感としてわかるようになりました。本当に子ども達の感性は素晴らしいと思います。このことについて、実行委員会の事務局員の一人である小川伸彦氏は、京都市提供のラジオ番組の中で、次のように述べておられました。

~「いないこと」にされた人々にとって、自然な心の状態で生きることはなかなか難しいことです。例えば、通名で暮らしているある在日韓国人の高校生は、「もし英語の授業中に『あなたは何人ですか』と質問されたらと想像すると、怖くてたまらない」とある本の中で書いています。「韓国人です」とも「日本人です」とも答えられないと言うのです。おそらく英語の先生も、そんなふうに悩む生徒はいないことにして、授業を進めているのでしょう。このような現状を少しでも変えるために必要なのは、出会いの場をつくっていくことです。そんな試みの一つとして、京都には四年前から南区で開催されている「東九条マダン」という手づくりのイヴェントがあります。マダンとは朝鮮の言葉で<広場>という意味です。これを始めたのは、地元で朝鮮の楽器や演劇を学び、民衆の文化として上演してきたグループや、在日1世のおばあさん達に文字を教えるとりくみを地道に進めてきた教室の若者達、在日の青年団体のメンバーや保育園の保母さんなどです。毎年地域の小中学校を会場としていますが、いつも入り口付近に一つの長い垂れ幕があり、そこには「やっとやっと出会えたね!」とハングルで書かれてあります。誰と誰が出会うのでしょうか。ふだん自分たちの文化を表現する場を共有することの難しい、在日同胞同士が出会うという意味がまずこめられています。そしてさらに、日本人と在日の人々がこのマダン=広場で、対等の立場で出会いたい、という強い願いもこめられています。すでに大阪など各地に同様の催しはありますが、この東九条マダンの特徴は、在日の人々と日本人、障害者と健常者といったいろいろな立場の人々が誰でも主体的に参加できて、一緒につくる、という点にあるのです。ここで目指されている出会いとは、お互いにありのままの自分をだしあおうということであり、それはさらに、偏見のない新たな関係や新しい自分をつくるきっかけにもなるものです。(1997年10月二六日KBS京都局放送より一部)

今年も交流と共生、出会いと創造の場、第7回東九条マダンは、11月3日(休日)午前10時より京都市立山王小学校(JR京都駅八条口東より南5分)で開催されます。ぜひ、みなさん来て下さい。


1999年第20回全国在日朝鮮人(外国人)教育研究集会京都大会にて報告


いこか つくろか みんなのマダン